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living legend, Toshiko Akiyoshi

ジャズピアニスト・秋吉敏子。

日本人ジャズミュージシャンの「草分け」的存在。
日本人で初めて米国バークリー音楽院に留学したのも彼女だ。
1929年生まれ。76歳の今も、バリバリの現役である。

そんな秋吉さんが1年ほど前に、
NHKの「教養講座」のような番組にシリーズ出演した。

どういう番組かというと、
彼女がカメラの前に座りその半生や、
自身の音楽についてなどを、ひたすら語る、
聞き手もゲストもいない。ずっと一人で語り続ける。
そんな番組だった。

そしてVTRもほとんどないし、
彼女の演奏シーンすらほとんどなかった。
とにかく「語り」のみに焦点を絞った、興味深い番組だった。

そんな番組の中で、最も印象に残っている言葉がある。

彼女がアメリカで
ジャズミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせたものの、
なかなか評価されなかった頃について語っていた時の言葉だ。

「死んでからが勝負だ、と思うようにした。」

どういうことかというと、
自分の音楽は、今は評価されていないし、
もしかしたら自分が生きている間は評価されないかもしれない。
でも自分が死んだ後になって評価されるかもしれない、
それでもいいじゃないか。
それを希望に頑張ろうと思った、ということだ。

この言葉を聞いた時は、
「そういう考え方もあるのか・・・」とただ驚いた。

自分自身ではそんな事、全く考えたこともなかった。
「生きているうちに」どころか3年後、いや1年後、
そんなすぐ目先の結果ばかり求めてはうまくいかず、
いつも苛立っていたように思い、自分の小ささを思い知らされた。

この言葉を聞いてから、
自分の考え方も少しだけ変わったような気がする。

さて、
秋吉さんはジャズピアニストでありながら
ずっと自身のビッグバンドを率いてきた。
そしてビッグバンドのための作曲やアレンジに
時間を割いてばかりで、
ずっとピアノの練習が思うように出来なかった、と言う。

そして「もっとピアノが上手くなりたい」という理由で
2002年に、永年率いたビッグバンドを解散させた。

その時すでに70歳を超えていたわけで、
その向上心・情熱には、本当に感嘆するばかりである。

偉大なジャズピアニストに、改めて敬意を表したい。
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by boppuccino | 2006-08-31 00:06 | people

3rd issue of made in U.S.A catalog

「Made in U.S.A Catalog」、3度目の復活。

日本に初めてアメリカ製の洋服を紹介した本として、
今では一種の伝説になっている、
「メイド・イン・U.S.Aカタログ」は、
1975年に読売新聞社から発行されたという。
翌76年には続編の「メイド・イン・U.S.A-2」が
刊行されたというが、
残念ながら僕はどちらも持っていないし、
読んだことすらない。

その「メイド・イン・U.S.Aカタログ」の編集メンバーが、
後に「ポパイ」の創刊メンバーであり、
「ポパイ」によって、
それまで「メンズクラブ」と「VAN」全盛だった
日本の男性ファッション界に「アメカジ」が
もたらされたといわれている。

さて、そんな「メイド・イン・U.S.Aカタログ」だが、
僕の知る限りでは、
1998年にマガジンハウス「BRUTUS」で、
「Made in U.S.A Catalog 再び」として復活している。

こちらの方はもちろん大事に保管してある。
(「2冊買い」しなかった事は後悔しているが・・・)

そして今年、2006年に、「Made in U.S.A Catalog」は
(僕の知る限りでは)3度目の復活を遂げたようだ。

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写真は左が1998年・2度目の復活版。右が今年出た3度目の復活版。

ひっそりと3度目の復活を遂げた今回、
この本を発行しているのは英知出版・・・・。

英知出版と言えば、
ヴィンテージ・エイジには
「デラ○っぴん」などでおなじみ(?)の、
あの英知出版・・・

それが何故なのかは不明なのだが、
とにかくこの時期に復活されたことは、
アメカジ復権に向けて、
大いにプラスになるはず。

さて、その内容だが、
2度目の復活の時は「BRUTUS」ということもあってか
ややひねりを加えすぎた内容で、
実際「made in U.S.A」の製品は
あまり紹介されていなかった。

だが今回は、アメリカン・ブランドの紹介に焦点をしぼり、
あくまでも「カタログ」として、非常に実用的に出来ている。
紹介されている全ての商品がアメリカ製というわけではないが、
でもかなり厳選されたセレクションであることがわかる。

昔も今も、ずっと男達の味方(?)。
頼れる存在、英知出版に、
改めて敬意を表したい。
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by boppuccino | 2006-08-30 01:01 | books&magazines

story of Ameyoko

ファッション誌によくある「東京お買い物マップ」。
そこで紹介される街といえば、
青山、渋谷、代官山、原宿あたり。

あとは、雑誌によっては銀座かもしれないし、
もしくは下北沢や吉祥寺かもしれない。

いずれにしても今、お買い物マップで、
「上野アメ横」が紹介されることは、まずないだろう。

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東京・上野にある「アメ横」は、
「アメヤ横丁」の略で、
正式名称は「上野食品雑貨協同組合」だそう。
そのルーツは、やはり終戦直後の闇市だったという。

ちなみに「アメヤ横丁」のネーミングは
当時「飴屋」が流行し、
たくさん並んだことから名付けられたそう。

さて、そんなアメ横だが、
アメカジ派にとってはある種の「聖地」と言える。
いや、それだけではなく、
今の日本のカジュアルファッションの原点は、
アメ横にあると言っても、過言ではないかもしれない。

それは何故か・・・・?

当時のアメ横には、
食料品を売る店と並んで、
進駐軍からの払い下げの衣料などを売る店が多数存在したそうだ。
物資の不足した時代に、それは大変貴重であったという。

やがてアメ横では、
進駐軍の兵士たちが履いていたデニムのパンツが、
GIが履いているパンツということで「Gパン」と呼ばれ、
人気を集めた。

当初Gパンはあくまでも作業着として扱われていたらしいが、
昭和30年代になると、若者たちの間でGパンは
ファッションアイテムとして爆発的な人気になったそうだ。

日本で初めて、「Gパン」を売った街が、アメ横だったのだ・・・・。

ちなみに・・・・
今やセレクトショップの雄として
確固たる地位を築いている「シップス(SHIPS)」も、
そのルーツは1952年(昭和27年)に
アメ横で開業した「三浦商店」だった。
当時のお店の広さは、たったの一坪ほどだったという。

その後、三浦商店は1975年(昭和50年)に、
今では一種の伝説にもなっているショップ
「ミウラ&サンズ」を渋谷に出店。
全ての商品はアメリカからの輸入品だったという。

「シップス」がスタートするのは1977年(昭和52年)。
かつての「三浦商店」がここまで発展するなんて、
おそらく誰も予想しなかったはずだ。

さて、最後に・・・・
「今のアメ横」はどうなっているかというと、
「昭和と平成のミックス」とでもいうような、
非常に混沌とした状態で、それが刺激的で面白い。

そしてアメカジ派にとっては、
相変わらずの「聖地」であり続けている。
「玉美」「ハナカワ」「ヤヨイ」など、
敬意を表したいお店が多数存在する。

そして極めつけ、とも言えるのが
アメ横センタービル1Fにある「守屋商店」。

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30年以上も前のアメリカ製の服を平然と売っている・・・。
しかも狭い店内に商品を平積みしすぎて、
下の方に何があるのか、ほとんどわからない・・・。
ものすごいお宝アイテムが
眠っていることだけは間違いないんだけど・・・・。

こういうお店にはやはり、
年に一度は「巡礼」しておくべきだと思う。
そんな「聖地」アメ横に、改めて敬意を表したい。
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by boppuccino | 2006-08-29 01:01 | place

Off the wall!

アメリカのスニーカーブランドは沢山存在するが、
キャンバススニーカーの2大ブランド、といったら
「コンバース(Converse)」と「ヴァンズ(VANS)」で、
おそらく誰も、異論はないだろう。

以前書いたようにコンバースのスニーカーは
僕も今までに何足か愛用してきたが、
VANSのスニーカーは、実は今まで一度も履いたことがない。

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VANSは1966年、LAにて、
ポール・ヴァン・ドーレン氏によって設立されたという。

もともとはデッキシューズを作っていたが、
その滑りにくいソールがスケーターたちの間で好評になる。
そういったニーズを受けて、
VANSはやがてスケーター向けの名作スニーカーを多数誕生させる。

さて、僕がVANSを知ったのは
ファッションに興味を持ち始めた中学生の頃なのだが、
中学といえば・・・・・・
僕はなぜか中学校だけは、とある私立の学校に通っていた。

その学校とは「自由な校風」で知られる「W学園」で、
僕の数年先輩にはフリッパーズ・ギターや
リトル・クリーチャーズといったミュージシャンが
通っていたことでも知られている。

「自由な校風」が売りだけあって、
そこには校則もなく、制服もなかった。
そんなこともあってか、
生徒の中には、お洒落ぶったマセガキが多かった。
まあ僕も、その一人だったのかもしれないけど・・。

で、ちょうど僕の一学年上の代には、
スケボーやヒップホップを愛好する先輩がけっこう多かった。
よってVANSを履いている先輩も、多かったように思う。

今ではVANSといえばいろんなタイプのスニーカーが揃い、
値段もリーズナブルな、スニーカーのメガブランドだが、
当時はまだまだ一般レベルに普及しているとは言えず、
あくまでもスケーター向けのブランドであった。

僕はアメカジを通じてVANSに興味は持ったが、
自分はスケボーをやっていたわけではないので、
当時、ファッションだけでVANSを履くというのは、
それは畏れ多い行為であったし、
一学年上の先輩の目もあったから、
VANSにはどうにも手が出なかった。

それが何となく今までずっと続いて、
VANSは結局一度も履いたことがないままだ・・。

さて、そんな中学時代の一年先輩の中には
今ではブランド「WTAPS(ダブルタップス)」のデザイナーとして
カリスマ的存在になった、
「TET」こと西山徹(にしやまてつ)氏がいた。

西山徹氏とは臨海学校の「縦割り班」で一緒だったこともある。
臨海学校の宿舎でも、「スラッシャーマガジン」の帽子や
「ビースティーボーイズ」のTシャツを着て、かなり格好良かった。
足元は、良く覚えていないけど、おそらくVANSだったはず・・・・。

VANSは今年(2006年)ちょうど創立40周年を迎える。
それもあってか今年から
「SYNDICATE」という新たなプロジェクトの製品が
リリースされているようだ。

そのコンセプトは、「スケーターのためのスニーカー」
つまりVANSのコアな部分に立ち返るプロジェクトだという。

そしてそのプロジェクトで
コラボレーションするクリエイターの中には、
西山徹氏の名前も・・・。

中学生の頃から履き続けたスニーカーブランドとの
コラボレーションなんて・・・
本当に、凄いことだと思います。
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by boppuccino | 2006-08-28 23:59 | products

CRAFTED WITH PRIDE IN NEW YORK

東京・渋谷、明治通り・宮下公園交差点近く、
「美竹公園」の向かいにあるビル。

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まさに「雑居ビル」という言葉がふさわしい、
古めかしく地味なビルの2Fに、「ネペンテス(NEPENTHES)」はある。

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ビルの外には、看板も何もない。
そこに確固たる自信が窺える。

ネペンテスといえば、かつては表参道近くの
細い路地を入ったマンションの一角にある
個性的なインポートショップであった。

他のアメカジ系のお店では見られないような
アメリカ製の良質な服やバッグが置いてあり、
「上級者向け」な印象だった。

現在のネペンテスは、
「Needles」「S2W8」「Engineered Garments」など
10を超えるオリジナルブランドを展開し、
お店に置いてあるのも、
ほとんどがそのオリジナルブランドの商品だ。

インポートショップ、セレクトショップが
オリジナルブランドを立ち上げ、オリジナルの服を作る、
というのはよくあるケースだが、
大抵の場合、値段も安い代わりに品質もイマイチだったり、
デザインも、どこかのブランドにそっくりだったりする。

だが、ネペンテスのオリジナルブランドは、全く違う。
どこをとっても「本物」の手触りがする。

現在ネペンテスは東京、ロンドン、ニューヨークに
オフィスを構えて、それぞれの土地で
デザインから生産までをすべて行っているらしい。

だからネペンテス・ニューヨーク企画のブランドは、
全てmade in U.S.A。
ショップのオリジナルブランドで、
ここまでこだわっているブランドは、数少ない。

個人的には、
そのネペンテス・ニューヨークの主力ブランド
「エンジニアード・ガーメンツ(Engineered Garments)」が
特に好きで、愛用している。

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エンジニアード・ガーメンツの服は、
基本的には古き良きアメリカ服の復刻なのだが、
どこかに必ず「ひとひねり」がある。
その「ひとひねり」のセンスがとにかく抜群で、
いつも感心、いや感動してしまう。

そのちょっとしたアレンジのおかげで、
古臭さを感じさせないどころか、
モードな空気、時にはアヴァンギャルドな空気さえ
感じさせてしまうのだ。

「もしネペンテスが音楽を作ったら・・」
なんてつい考えてしまう。

僕も古い音楽が好きで、
それを現代に甦らせたい、という気持ちで
今まで音楽に取り組んできたつもりだけど、
ネペンテスの服の完成度の高さには、
まだまだとても、及ばないように思う・・・。

さて、そんなネペンテス・ニューヨークのデザイナーは
鈴木大器氏という日本人らしい。

その鈴木氏だが、最近入手した情報によると
この秋に完全復活を遂げると言われる
アメリカの伝統的ウールブランド、
「ウールリッチ(Woolrich)」のデザインは
彼が手掛けているらしい。

この件に関してはまた後日書く予定ですが、
アメカジの未来を担うのは、もしかして日本人なのかも・・・
そんな事を考えてしまう。

改めてネペンテスに、敬意を表したい。
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by boppuccino | 2006-08-27 23:59 | products

life is styling

「ソニープラザ」は今年(2006年)で何と40周年だそう。
そんなソニプラで毎月無料配付している小冊子「S.P」を
パラパラめくっていたら、
「私とソニープラザ」的なコーナーに、
僕の知っている、ある人が登場していた。


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インテリアスタイリスト・作原文子(さくはら ふみこ)

僕が以前アルバイトをしていたお店に、
作原さんはよく来ていて、
それで僕も彼女とちょっと顔見知りになった。

作原さんについて
そんなに詳しく知っているわけではないけど、
僕の知っている作原さんは、
とにかく人間的な魅力というものに溢れていた。

前向きで、芯が強く、なおかつ謙虚で気配りが出来る。
彼女に会ってその笑顔を見るだけで、
いつも元気をもらえる、そんな人だった。
(褒めすぎかな?)

以前、作原さんを僕のライブに誘ったことがあって、
こちらとしては
「まあ、忙しい人だし、来てくれないとは思うけど一応・・・」
ぐらいの気持ちで、誘った事すら忘れかけていたのだが、
当日ライブ会場に着いたら、作原さんから花が届いていた。
「せっかく誘っていただいたのに行けなくてごめんなさい」
というメッセージを添えて・・・・。

そこまでしてくれる人は、滅多にいない・・・。

成功している人、活躍している人に限って、
気配りが出来て、また気が利く、という、
お手本を、見せてもらった気がする。

そんな作原さんとも、もう5年以上会っていない。
知りあった頃からすでに、
雑誌「anan」などのスタイリングで活躍していたけど、
最近はもう「作原文子」の名前が一つのブランドになり、
確固たる地位を確立しつつあるように思われる。

そんな作ちゃんに、ここで改めて敬意を表したい。

最後に、僕のアルバム「スモールコンボ」を、
作原文子風(?)にスタイリングしてみました。

「スモールコンボのある暮らし」
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いつかぜひ、ご本人にスタイリングしてもらいたい。
それが僕の夢・・・。
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by boppuccino | 2006-08-26 22:22 | people

French meets American

時代は変わる。街も、人も、そして「舟形トート」も・・・。

最近ふと思った。
「そういえば、エルベ・シャプリエのバッグ持ってる女の子
 見かけないなぁ・・・・。」

エルベ・シャプリエ(Herve Chapelier)は今から約25年前に
その名の通り、エルベ・シャプリエ氏によって
設立されたフランスのバッグ・メーカー。

ナイロン素材のシンプルかつカラフルな舟形のトートバッグは
かつては定番中の定番で、
流行に左右されることなんてないと思っていたのだが、
最近街を歩いていても、そう言えばほとんど見かけない。

時代の主役はいつしかガルシア・マルケスに
取って代わってしまったのか・・・・・。

エルベ・シャプリエのバッグにセント・ジェームスのボーダー、
シマロンのピチピチパンツにビルケンのサンダル・・・
そういうタイプの女性は、今や絶滅寸前か?

悲しい・・・。

ちなみに僕が持っているエルベ・シャプリエはこれだけ。

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数年前にとあるデパートの閉店セールで買ったブリーフケース。
「書道用具入れ」ではありませんよ。

あ、もう一つあった。

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昔付き合ってた彼女にプレゼントしたトートバッグ。
それが・・・、
別れる時に、返品された・・・。

こういうアイテムの処分方法がわからなくて困るのですが、
どうすればいいのでしょうか?

さて、アメカジ的視点で見ると
エルベ・シャプリエのバッグはフランス製だが、
リュックだけは、有名なアメリカのバッグメーカー
「アウトドア・プロダクツ」に発注して作っていた。
つまりmade in U.S.Aだった。

そのアウトドア・プロダクツも数年前に
アメリカでの生産を中止してしまい、
現在は主にベトナムで生産している。

だが、ベトナム製アウトドア・プロダクツ製品の出来に
満足できないエルベ・シャプリエ氏は
アウトドア・プロダクツへの発注を止め、
今はリュックもフランスで生産しているらしい。

エルベ氏の判断は正しい、と思う。

made in U.S.A時代のエルベ・シャプリエのリュックは、
フランス的センスとアメリカ的機能性がミックスされた、
素晴らしい一品だった・・・・。
が、今や入手困難。
ヴィンテージ行き間違いなし、である。
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by boppuccino | 2006-08-26 02:02 | products

Miles and Duke

1950年代から活躍を続けたジャズ・ピアニスト
デューク・ジョーダン(Duke Jordan)氏が
2006年8月8日に、84歳で亡くなったという。

デューク・ジョーダンと言えば、
かつてはあの、ビ・バップの神様、
チャーリー・パーカー(a.sax)のバンドの
レギュラーピアニストであった。

仕方のないことではあるが、
また一人、ジャズの歴史に残る
「ジャズ・ジャイアンツ」がこの世を去ってしまった。

正直言って,
僕はデューク・ジョーダンの熱心なファンではなかった。
それは何故かというと・・・・・
ある一冊の本のせいである。

「マイルス・デイビス自叙伝」(宝島社文庫)

マイルス・デイビスと言えば、彼もまた
チャーリー・パーカーに並ぶジャズの「神様」の一人であるが、
そんな彼の自叙伝を読むと、
デューク・ジョーダンはこれでもか、とばかりに
ボロクソにけなされている。

若き日のマイルスは、
パーカーのバンドに在籍していた。
そこでデューク・ジョーダンと共演していたのだ。

当時の様子が、自叙伝にはこんな風に書かれている。

「デューク・ジョーダンのピアノだけは好きになれなかった。」
「とにかくたいした演奏も出来ないデューク・ジョーダンが・・・」
「デューク・ジョーダンには、早く理解してくれることを祈りながら
毎日コードを教えたが、いつまでたってもダメだった。」
「アホのデューク・ジョーダンが無駄に居座っていたんだ。」

全て自叙伝からそのまま引用した文章だ。

マイルスはデューク・ジョーダンをクビにしたかったけど、
リーダーであるパーカーがデュークを気に入って、
ずっと使い続けたらしい。

若き日のデューク・ジョーダンはそこまで下手だったのか、
それともただ、マイルスの趣味に合わなかっただけなのか?
そのあたりは謎のままであり、
そういうミステリーがまた、とても興味深い。

とにかく、
デューク・ジョーダンの演奏を聴く以前に
マイルスの文章を読んでしまった僕は、
完全に「聴かず嫌い」になってしまい、
結局その後も彼の作品を、熱心に聴くことはなかった。

「マイルスにけなされた男」
デューク・ジョーダンのソロピアノ・アルバムを聴きながら、
不名誉なピアノマンの死を、偲びたい。
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by boppuccino | 2006-08-26 01:01 | sounds

monologue about cassidy <1>

東京・原宿にあるインポートショップ「CASSIDY」。
オープンしたのは1981年だというから、
移り変わりの早い街で、もう25年も続いていることになる。

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僕がファッションに興味を持った頃はすでに
キャシディは多くの雑誌で紹介されていた。
そして店長の八木沢氏も、よく顔写真付きで雑誌に載っていた。

なので初めてキャシディに行って
八木沢店長を見た時は、有名人に会ったような気分だった。

何度か通っていると、ある日
「あ、オレ、店長に顔覚えてもらえたかも」と思う事があった。

「いらっしゃいませ」の後に
「あ、こんにちは」が付いたりすると
人はみな、そう感じるものだ・・・。

そういう時は非常に嬉しいもので、
その後しばらく、「顔忘れられないように」と
マメに通う事を心がけた。

・・・と言っても実際は
せいぜい2ヶ月に1回ぐらいしか行かなかったんだけど、
それでも八木沢氏は僕の顔だけでなく
僕がキャシディで買った服も、
かなり細かく覚えてくれていた。

そんな、僕にとっての「有名人」だった八木沢氏だが、
実際、本人に接してみると、かなりユニークな人であり、
「この人、本当に偉いのかな?」と思うような事だらけだった。

まず、服をたたむのが非常に遅くて、
手つきも妙にたどたどしい。

あと、しゃべり方も全然、接客業っぽくなくて、
ボソボソっと小声で話すし、
言葉遣いも全然、「プロっぽい」感じがしない。

例えば以前に僕が「これ買います」と言ったら、
「え、買ってくれるんですか?」と言われた。
普通、店員さんがそんな事言わないですよね?

が、しかし、そんな八木沢氏にすっかり魅了されてしまい、
原宿キャシディに通うようになってもう6〜7年が経つ。

ちなみに僕のアルバム「Small Combo」の
裏ジャケットの写真で着ているシャツもパンツも、
両方ともキャシディで購入したものです。

が、しかし、
八木沢氏には、僕が音楽をやっている事などは、
何も明かしていない。
いや、話したい気もするけど、話せていない。

お店の店員さんと仲良くなったら、
どこまで自分から話すべきなのか・・・・、
難しいテーマですね。

それはともかく、
改めて原宿キャシディと八木沢店長に、
ここで敬意を表したいと思います。
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by boppuccino | 2006-08-25 23:59 | place

i-D JAPAN

1976年に創刊された雑誌「POPEYE」。
アメリカンカジュアルを中心とした
男性ライフスタイル誌の草分け的存在であり、
もちろん今なお健在。

創刊から30年近く経った今、
その創刊号は古本屋で
\12000前後で売られているという。
(ちなみに当時の定価は\780)

まさにヴィンテージ・マガジン・・・・。

そんな「ポパイ」創刊号は残念ながら持っていませんが、
将来の「ヴィンテージ・マガジン行き」が期待される雑誌を
ここで紹介してみたい。

「i-D JAPAN(アイディー・ジャパン)」

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書店の洋雑誌コーナーなどに行けば、
必ず、と言ていいほど置いてある
イギリスのカルチャー雑誌「i-D」。
その日本版が、かつて存在した。

創刊されたのは1991年9月。
創刊当初は、「あのi-Dの日本版が出る」ということで、
かなり話題にもなり、
もちろん僕もワクワクした。

創刊号の表紙はどアップの小泉今日子(上の写真の左下)。
特集は当時人気急上昇中だった「貴花田」。
そしてビートたけしやレニー・クラヴィッツのインタビューなど、
意外なほどメジャー路線であったのには驚いたが、
連載陣は「スチャダラパー」「フリッパーズ・ギター」
「テイ・トウワ」「電気グルーヴ」と、期待通りのメンバーだった。

そんな「i-D JAPAN」だが、
1992年12月には、突然の休刊宣言をしてしまう。
今思えば、たった1年ちょっと、
計16号で終わってしまった雑誌。

あれから15年・・・・。
「i-D JAPAN」を創刊号から休刊号まで、
全て「品質A状態」で保管しておいたら、
それなりの価値が出てるはずなのですが、
実際は、どうなんでしょう?

もし古書関係の方がいらしたら、
こっそり教えて下さい。

まだまだ手放す気はないけど・・・。
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by boppuccino | 2006-08-25 02:22 | books&magazines